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2019.12.22

変わらぬ中野駅でタイ料理!

2020年と言えば東京オリンピックの年ですよね。久しぶりの日本でのオリンピック開催、そして2度目の東京開催ということで大会期間を含め、日本は熱気に包まれることに間違いありません。では、1度目の東京オリンピックというと1964年であり、なんと56年も遡ります。それほど前となるとイメージしづらいですが、この時期と同時期に完成し栄え始めた地域があります。今回はその56年前のオリンピック時期にできた中野駅周辺の事情について紹介していきます。

列島が沸いた1964年オリンピック

 日本初、強いてはアジア初の自国開催のオリンピックとして、1964年に東京オリンピックが開催されました。その結果、日本は金メダル16個を含む計29個のメダルを獲得し世界に存在感をアピールしました。その後、日本は第二次高度経済成長を迎え、日本人の生活も徐々にアメリカナイズされていきました。その波に乗じて当時の先駆的な複合商業施設として中野ブロードウェイが建設されました。元々は木造家屋が密集する地域で、地元有志たちが発案し地域周辺の土地を買収してビルを建て、利便性のために広い通路を貫通させようと計画したことに端を発しています。

様々な困難を経た末、当初の計画とは少し逸れるものの、中野駅北口開発として中野サンモール商店街に続く商業と当時の高級住宅を複合させた施設として中野ブロードウェイは誕生しました。中野駅、特に中野駅北口周辺には中野ブロードウェイの他にも昭和当時の面影を残す昭和新道商店街があります。こちらは中野ブロードウェイとは異なり、小洒落た昔ながらの飲み屋が連なっており、古き良き時代を感じさせる雰囲気が漂っています。中野駅北口周辺は、活気溢れる地域ではありますが、令和に変わった今でもどこか昭和当時の面影を残し、昔の古き良き時代を感じることのできる地域となっています。

外国人が集う街、中野でタイ料理

中野ブロードウェイは開業した後、様々な時を乗り越えバブル崩壊後の1993年頃から「サブカルの聖地」と呼ばれるようになります。そう呼ばれるようになった発端は、1980年に中野ブロードウェイで商売を始めた「まんだらけ」の存在があります。今でこそ、漫画や漫画周辺のグッズ等サブカルチャーといえばまんだらけ、というほどの知名度ですが当時は2坪という小さなスペースで開業し、ここまでの有名店に成長しました。

日本のサブカルというと、やはり海外の観光客からの人気は凄まじいものです。平日で3万、土日祝で5万人が訪れる中野ブロードウェイですが、その半数は外国人となっています。先程、昭和の雰囲気を感じる古き良き地域と表現しましたが、そのような街並みとは裏腹に、国際的な街としての色も持っているのが中野駅周辺の特徴です。

国際色豊かな地域というと、タイのバンコクも忘れてはいけません。タイの首都として、1600万人程が暮らすバンコクは世界有数の大都市であり、東南アジア屈指の拠点都市です。そんなタイの雰囲気を、タイから離れた中野駅でも感じることができるのです。それはタイ屋台999が中野駅からほど近い所にあるからです。タイから集めてきた本場のインテリア、現地で修行をした本格的なタイ料理を堪能できます。サブカルの聖地である中野で昭和を感じた後は、是非タイ屋台999中野店にお越しくださいませ。